ハラで生きれば~弱い自分に会いに行こう~

弱い(弱いと思っていた)自分に会いに行こう。

 

自分が好きなものってなんだろう。

 

とてもシンドイ日々が続くとどうだろう。

 

そこから逃げ出したくなる

 

逃げた先に好きなもの、好きなことがあるなら迷わず逃げるが

 

だけど、なにもないのに辛いからというだけで逃げてしまっては、また変な後悔にハマッてしまうだろう

 

だがシンドイ

 

そもそも自分はなにがやりたいのか?

 

どうありたいのか?

 

ハラの声はなかなか聞こえてこない

 

嫌だ嫌だとエゴは暴れるが

 

ハラがこの状況を造り出しているなら、何故今この状況なのだろう

 

このシンドイ日々がなくなり、平和な時間が続けばどんなに心穏やかだろう

 

平和な時間がずっとずっと続けば…

 

…だが、それだとちょっとつまらないような気がする

 

なんとワガママな

 

帰るべき港があり、そこから冒険に出る

そして冒険に疲れ、ボロボロになったら港に帰る

そしてまた冒険に

 

そんな人生を自分は望んでいるのかもしれない

 

なんと勝手なヒーローだろうか

 

そうだとして、今のシンドイ状況は冒険の最中だろうか

 

そして自分には帰るべき港があるのだろうか

 

港…今の自分には思いあたらないが、誰にでも必ずある

 

そう、港はあるのに見えていないか、気づいていないだけ

 

さてさて自分の港はどこだろう

 

以前、ハラ生き道の師匠オゼッキーさんから『好きなものはもう知っているはず』『弱かった(弱いと思い込んでいた)自分にヒントがある』と言われたことを思い出す

 

男なんだから強くなれ、男のくせに情けない(弱い)と子供の頃はよく言われたような気がする

 

弱い=駄目なこと

 

中学生になりイジメられた時期にはそれに拍車がかかる

 

そして弱い自分をなかったことに、本当は弱いと知っているのに見ないフリ

 

だが、弱い自分は消えていない

時折それに気付かされるような出来事が起こる

 

そうすると、駄目だ駄目だと弱い自分に蓋をする

 

そもそも弱いというのは駄目なことではないのに

 

思い返せば、弱いというかなんというか…

 

子供の頃ジュースが飲みたいと母親に言った

 

母親が『どっちがいい?』と聞く

 

そうすると自分が飲みたい方ではなく、選ぶと母親が喜びそうな方を選んだ

 

変な子供だ

 

そんな弱い自分に好きのヒントや帰るべき港のヒントがあるのかもしれない

 

40年近く見ないことにしていたから、なかなか姿を見せてくれないかもしれないが

 

カラダをゆるめてゆるめて…

 

弱い自分(弱いと思い込んでいた自分)に会いに行こう

 

会えたらどんな声をかけようか

 

『やあ久しぶり』かな