ハラで生きれば~やさしさと怒りと在り方と~
怒れない自分がいる。
怒らない理由を作って自分に言い聞かせ、自分の素直な感情に蓋をする。
するとどうだろう。
自分が今何を感じているのかわからなくなる。
あるいは、人からやさしいと言われても『やさしくはない、ただ弱いだけ』とこじれた感情が浮かぶ。
やさしさとは?
怒りとは?
怒れない自分は弱い自分?
やさしさは弱さ?
怒れない自分に苛立つとき、弱い自分を許せないときであることに気づく。
では、自分は怒りたいのか?
やさしく在りたいのか?
そもそも自分はどう在りたいのか?
そんな自問自答を繰り返す。
自分は…やはり、やさしく在りたい。
では、怒る、または怒りとは?
怒り、または怒るとは、自分のテリトリーを守る為にある。
と、ハラ生き道の師オゼッキーは言う。
では、怒りとは…自分を守る為のやさしさではないだろうか?
自分の感情を繊細に感じとる。
怒っているのであれば、変な言い訳せず、怒っていることを認めよう。
悲しい、寂しいのであれば、格好つけずに悲しい、寂しいと認めよう。
そう繊細に感じとり、そして少しずつでいいからハラを括って表現してみよう。
それが少しずつでもできてきたら、自分の在りたい姿に近づけるのではないか。
そして『やさしさではない、ただ弱いだけ』とひねくれることなく
『これが自分のやさしさです』
と、胸を張って言える『やさしさ』に出会えるかもしれない。
そして、今の怒れない自分を許せるような『やさしさ』にも出会えるかもしれない。